1960年代~70年代の横須賀で流行したダンス「横須賀ジルバ(スカジル)」「横須賀チャチャ(スカチャチャ)」が11月3日、街ジャズイベント会場のドブ板通り広場(横須賀市本町2)で再現された。当日は、地元ビッグバンドの生演奏に合わせて、スカジャンを着たダンサーたちが華麗なステップを披露した。
1970代の横須賀、「EMクラブ」のダンスホールで踊る日米の若者たち
ドブ板通り周辺を舞台に開催された「横須賀トモダチジャズ2018」(11月3・4日)の特別企画として催された。同ジャズはプロミュージシャンやアマチュアバンドが集まり、2日間で10会場49ステージを展開。戦後ジャズの聖地だった「EMクラブ」(米海軍下士官兵集会所)全盛期の記憶をしのび、「当時のダンスシーンを再現しよう」と試みたもの。
戦後の横須賀では、旧海軍軍楽隊からジャズメンに転向した人たちが数多くいた。1950年代、EMクラブを中心にジャズを演奏するクラブやダンスホールが横須賀には100軒以上あったという。当時、米兵たちのスーベニアとして、虎や龍、富士山など和柄の刺繍を入れたジャンパーが人気を集めた。やがて70年代になると、日本の若者たちの間にもファッションとして「スカジャン」(横須賀ジャンパー)が流行した。
この頃、横須賀はナイトクラブ全盛期。ダンス好きな若者たちは、米兵たちと一緒に踊っているうちに、早いテンポのダンスが生まれ、「スカジル」「スカチャチャ」と呼んだ。横須賀と本牧のクラブを行き来した若者たちは、「横浜ジルバ(ハマジル)」に対抗し、″横須賀マンボ″(極端に細いマンボズボンの裾をくしゃくしゃにした米兵ファッション)をはいてスカジルをアピールしたという。
中央ダンススクールの七梅邦江さん(63歳)は、「当時キャバレーを経営していた母親がスカジルを踊っていたのを覚えている。6ビートの軽快なステップが特徴」といい、集まった若いダンサーたちにスカジル・スカチャチャを教えた。
ダンスグループのリーダーで米国ハリウッドでダンスを学んだ寺田直子さんは、「スカジルはイギリスの″ジャイブ″(クラブで踊るスタイル)に近く、ハマジルはアメリカの″ジャイブ″とよく似ている」という。「スカジルは動きがとてもシャープで、1930年代アメリカで踊られていた″シャグ″というダンスの中の″スリングショット″という技に近い」とも。「横須賀に駐留する当時の米兵から教わったか見て覚えて、地元オリジナルのダンスになったという誕生エピソードを聞いて、なるほどと思いました」とコメント。
横須賀トモダチジャズの企画担当者は「EMクラブの記憶を発掘しながら、ジャズバンド生演奏で踊っていた当時の雰囲気で、日米交流ダンスパーティーを実現させたい。今後もスカジル・スカチャチャを広めていけたら」と話している。