月琴の演奏で、坂本龍馬の妻をしのぶ-横須賀で「おりょうさんまつり」

「龍馬とおりょうがこよなく愛した月琴物語」で演奏する「よこすか龍馬会」の女性たち

「龍馬とおりょうがこよなく愛した月琴物語」で演奏する「よこすか龍馬会」の女性たち

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 横須賀・大津町で10月10日、坂本龍馬の妻・龍子をしのぶ「おりょうさんまつり」が行われた。墓碑のある信楽寺(しんぎょうじ)で「墓前祭」、大津コミュニィセンターで「龍馬とおりょうがこよなく愛した月琴物語」と題した月琴演奏会も開かれた。主催は大津観光協会。

信楽寺に寄贈された「おりょうさん」の写真

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 墓前祭には地元市民ほか龍馬の郷里・高知県からも関係者が訪れ、約500人が集まった。横須賀出身の小泉進次郎・衆議院議員も参列し「幕末の龍馬はいまの自分と同じ年頃で国のために活躍した。自分も見習いたい。おりょうさんのようなお嫁さんがもらえたら」とあいさつ。

 月琴演奏会には「よこすか龍馬会」の地元女性5人が出演。演奏曲の合間に、寺田屋騒動の際に龍馬の危機を救ったことや「日本初の新婚旅行」に出かけたエピソードなどを講談調で紹介しながら、おりょうさんの人柄をしのんだ。

 同会は「晩年を横須賀で過ごし、龍馬と月琴を愛したおりょうさんの思いを伝えたい」と11年前に中国・上海から月琴11台を取り寄せて地元女性たちがけいこを始めたもの。同会月琴部の布施幸子さんは「おりょうさんの奏でる月琴の音色は龍馬の心を癒しただろうし、夫と離れて暮らすことが多かった妻にとって月琴は心の支えでもあったと思う。女性の目線から龍馬やおりょうさんのことを伝えられたら」という。

 京都の町医者の家に育ったおりょうさんは、龍馬亡き後に高知・京都・大阪・東京を転々として波乱の生涯を送ったという。1875(明治8)年に「三浦郡豊島村深田」(現在の横須賀市米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍。晩年を同地で暮らし、1906(明治39)年に66歳で病没。信楽寺に墓碑が建立され、墓碑の正面には「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と記された。

 大津観光協会の増田茂会長は「おりょうさんをしのぶ人たちが大勢集まった。龍馬の妻としての誇りを持ちながらも、それを口にすることなく晩年を過ごしたおりょうさんのことを皆さんに知ってもらえたら」と話す。

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